Works(作品等) - 秋庭 史典
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名古屋大学のアート TROPE experiments
秋庭史典・吉川遼・水谷仁美・青山太郎
2024年10月 -
名古屋大学のアート 2010-2012
秋庭史典・吉川遼
2024年6月-2024年7月 -
あれこれのこれかれ
秋庭史典
2024年3月 -
名古屋大学のアート 2004-2009
2023年11月 -
名古屋大学のアート 1998-2003
秋庭史典・吉川遼
2023年6月-2023年7月 -
なくしたものと付け加わったもの
秋庭史典
2023年3月 -
秋庭史典
2022年4月 -
大崎のぶゆき作品について 国際共著
秋庭史典
2022年4月 -
ごちゃがちゃの美学
秋庭史典
2021年9月 -
世界に鷲尾さんが必要な理由
秋庭史典
2021年8月 -
世界を物語り続けるーいとうせいこうさんの仕事から
秋庭史典
2021年5月 -
大泉和文個展
秋庭史典
2021年3月 -
亜生態系は生成し続ける
秋庭史典
2021年3月 -
ストリーミング・ヘリテージ:「メディア=コンシャス」から振り返る 国際共著
秋庭史典
2021年3月 -
美学の事典
2020年12月 -
原点の確認
2020年3月 -
原点の確認
秋庭史典
2020年3月 -
大崎のぶゆき「ブエノスアイレス」展
2019年11月-2019年12月 -
見えるようにする
2019年3月 -
終わりと始まり
2019年3月 -
見えるようにする
秋庭史典
2019年3月 -
終わりと始まり
秋庭史典
2019年3月 -
「人工知能美学芸術展」の意義
2018年11月 -
「人工知能美学芸術展」の意義
秋庭史典
2018年11月 -
すべてが見えてはいないから、投げ出されたことを感じて投げ返してみる。
2018年9月 -
すべてが見えてはいないから、投げ出されたことを感じて投げ返してみる。
秋庭史典
2018年9月 -
機械と身体
2018年3月 -
テオ・ヤンセン展人工生命体、上陸!
2018年3月 -
うみ、うまれ、だれかのなかに消えてゆく
2018年3月 -
2018年3月
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秋庭史典
2018年3月 -
うみ、うまれ、だれかのなかに消えてゆく
2018年3月 -
テオ・ヤンセン展人工生命体、上陸!
2018年3月 -
機会と身体
秋庭史典
2018年3月 -
おそれとあたたかみ
2017年9月 -
連鎖する出来事の流れの一部となりその全体をうまく動かすこと
2017年9月 -
連鎖する出来事の流れの一部となりその全体をうまく動かすこと
2017年9月 -
おそれとあたたかみ
秋庭史典
2017年9月 -
最小限の関与が引き出す場と街の可能性
2017年3月 -
一緒にまちのことを考えていた
2017年3月 -
最小限の関与が引き出す場と街の可能性
秋庭史典
2017年3月 -
一緒にまちのことを考えていた
秋庭史典
2017年3月 -
ART&Science展評
2016年11月 -
絵画という営み
2016年11月 -
絵画という営み
秋庭史典
2016年11月 -
ART&Science展評
秋庭史典
2016年11月 -
Found:_
2016年7月-2016年8月 -
また、いつか、あえる waltz2015 映像インスタレーション
2016年3月 -
つないで、そして見たことのないものを。
2016年3月 -
また、いつか、あえる waltz2015 映像インスタレーション
2016年3月 -
つないで、そして見たことのないものを。
2016年3月 -
マテリアライジング展における共創
2015年5月-2015年6月 -
大展会ーいや松本は、なぜいつも楽しいのか?
2015年3月 -
大展会ーいや松本は、なぜいつも楽しいのか?
2015年3月 -
あの感覚を、もう一度、でも違う仕方で
2014年4月 -
あの感覚を、もう一度、でも違う仕方で
2014年4月 -
phono/graphー音・文字・グラフィック
2014年2月 -
phono/graphー音・文字・グラフィック
2014年2月 -
3部作の体験ー蟲・ナマモノ・社会的動物の力を引き出す可変的構造について
2013年8月 -
3部作の体験ー蟲・ナマモノ・社会的動物の力を引き出す可変的構造について
2013年8月 -
ただ佇むことを許すーそれはどんな在り方だろうか?
2013年7月 -
ただ佇むことを許すーそれはどんな在り方だろうか?
2013年7月 -
鈴木由衣「ゴーザ壷」展評
2013年3月 -
期待と応答
2013年3月 -
鈴木由衣「ゴーザ壷」展評
2013年3月 -
期待と応答
2013年3月 -
ゆたかさ
2012年10月-2012年12月 -
後日対談ー緘黙のその後
2012年5月 -
後日対談ー緘黙のその後
2012年5月 -
博物館と美術館で歴史を表現することー「History in Art」展
2012年3月 -
伊藤正人展「Corridor」展覧会評
2012年3月 -
博物館と美術館で歴史を表現することー「History in Art」展
2012年3月 -
伊藤正人展「Corridor」展覧会評
2012年3月 -
「森北伸 containers with rhythm」展評
2011年8月 -
「森北伸 containers with rhythm」展評
2011年8月 -
夢見る技術
2010年5月 -
夢見る技術
2010年5月 -
感覚の喜びと哀しみと喜びと(いつまでも繰り返す・・・)
2010年3月 -
杉山健司展評
2010年3月 -
杉山健司展評
2010年3月 -
感覚の喜びと哀しみと喜びと(いつまでも繰り返す・・・)
2010年3月 -
あけられたドアの両側で
2009年10月 -
あけられたドアの両側で
2009年10月 -
09年5月のコンテクスト(名古屋芸術大学アート&デザインセンター「映像メディアのコンテクスト」展評)
2009年6月 -
09年5月のコンテクスト(名古屋芸術大学アート&デザインセンター「映像メディアのコンテクスト」展評)
2009年6月 -
平田あすか作品集解説
2009年5月 -
平田あすか作品集解説
2009年5月 -
Koanとその後
2009年3月 -
Koanとその後
2009年3月 -
「ジャップロックサンプラー」書評
2008年9月 -
「ジャップロックサンプラー」書評
2008年9月 -
美と科学的思考
2008年3月 -
美と科学的思考
2008年3月 -
展覧会評「GARDENS」展
2007年9月 -
展覧会評「GARDENS」展
2007年9月 -
対話のために必要なもの
2007年4月 -
対話のために必要なもの
2007年4月 -
展覧会評「岐阜おおがきビエンナーレ」展
2007年2月 -
展覧会評「岐阜おおがきビエンナーレ」展
2007年2月 -
展覧会評 「愉しい家」展
2006年10月 -
展覧会評 「愉しい家」展
2006年10月 -
展覧会評「ベリーベリーヒューマン」展
2005年12月 -
*映像インスターション・パフォーマンス「サイクリング」
2005年12月 -
展覧会評「ベリーベリーヒューマン」展
2005年12月 -
*映像インスターション・パフォーマンス「サイクリング」
2005年12月 -
書評 増田聡「その音楽の〈作者〉とは誰かーリミックス・産業・著作権」(みすず書房)
2005年10月 -
書評 増田聡「その音楽の〈作者〉とは誰かーリミックス・産業・著作権」(みすず書房)
2005年10月 -
展覧会評 「荒川修作を解読する」展
2005年5月 -
展覧会評 「荒川修作を解読する」展
2005年5月 -
学校とアート
2005年1月 -
学校とアート
2005年1月 -
*展覧会評(月刊誌『美術手帖』、定期、全12回)
2004年6月-2005年5月 -
書評 東琢磨『全音楽論』青土社
2003年10月 -
書評 東琢磨『全音楽論』青土社
2003年10月 -
書評 テオドール・アドルノ(渡辺裕編集、村田他訳)『アドルノ・音楽、メディア論集』(平凡社)
2003年2月 -
書評 テオドール・アドルノ(渡辺裕編集、村田他訳)『アドルノ・音楽、メディア論集』(平凡社)
2003年2月 -
書評 ジャン=リュック・エニグ『剽窃の弁明』現代思潮新社
2002年5月 -
書評 ジャン=リュック・エニグ『剽窃の弁明』現代思潮新社
2002年5月 -
矢向正人『言語ゲームとしての音楽ーヴィトゲンシュタインから音楽美学へ』(けいそう書房)
2001年12月 -
矢向正人『言語ゲームとしての音楽ーヴィトゲンシュタインから音楽美学へ』(けいそう書房)
2001年12月 -
安喜作品を見ることの幸せ
秋庭史典